中和田横穴墓群

中和田横穴墓群   立正大学博物館『第11回特別展 横穴墓」からの転載

東京都多摩市・中和田横穴墓群

        第44図 調査区全景

中和田横穴墓群は、多摩川の支流である大栗川によって開析された台地の南斜面に展開する横穴墓群であり、周辺に展開する横穴墓数は50基に近いものと想定できる。昭和20年代の三木文雄による数基の横穴墓の調査が端緒であり、立正大学考古学研究室が担当した昭和51年の調査により、新たに14基の横穴墓の存在が確認された。横穴墓が展開する斜面上の台地縁辺には、日野市・万蔵院台古墳群が位置している。古墳群は河原石を使用した横穴式石室を構築した3基からなるものであり、6世紀末葉から7世紀代 前半代にかけて築造されている。大栗川の対岸には、7世紀前半代の地区首長 墓としての切石を使用した胴張り型式の横穴式 石室を構築した稲荷塚古墳、これに継続する臼井塚古墳が位置しており、周辺には6世紀代以降に築造された高塚群集墳も展開している。中和田横穴墓群は、斜面に並列して横穴墓が展開しており、個別横穴墓の立地に従って墓前 域(墓道)の長さが規定されている。すなわち緩傾斜である東側に立地する横穴墓の墓道は長く、西側の急傾斜部に立地する横穴墓の墓道は 短くなっている。確認した14 基の横穴墓のうち西側の3基は保存のために調査していない。横穴墓の構造は、1・複室胴張り構造、2・矩形ないしは長方形玄室平面横穴墓、3・奥壁を最大とする玄室台形平面横穴墓の順に変遷したものと想定することができる。この変遷は坂西横穴墓群で確認されるところに等しく、7世紀代における展開と考えられる。

                            第45図 中和田横穴墓群 平面図

 中和田3号墓

3号墓は唯一斜面の上位に位置している。これは群内における構築最末期に位置したためと考えられる。玄室の平面形は径290cmの円形、天井の高さは150cm、羨道は奥側の幅 140cm、入口幅90cm、長さ200cmの規模である。墓前域は奥幅300cm、前幅220cm長さ 770cmの規模である。この横穴墓で確認できた特徴的な事象は、墓前域における明確な追葬面の確認である。本来は墓前域の床面から羨道入口へは高さ50cmの段が設けられていたが、追葬時には羨道床面と同じ高さに追葬面を設けており、この面から複数の須恵器の長頸瓶が割られた状態で出土している。7世紀終末の追葬時における葬送儀礼の執行を確認することができる。追葬面に合わせて、横穴墓入口の両脇には長さ60cm大の大形の河原石を立てて補強しており、横穴入口部天井の崩落に起因するものと考えられる。この横穴墓の内部からは、土師器の盤状杯が出土している。8世紀の前半代の年代が考えられる 土器であり、横穴墓の最終の使用実態を表すものである。同時期の

            第46図 3号墓実測図

状杯は日野市・神明上横穴墓において、横穴墓からの改葬用の墓である土坑墓から出している。この4号墓の玄室円形平面という点は、類例の少ないものである。確認できた横穴墓構造の変遷では、2段階の矩形平面の変形とて位置付けられる。中和田横穴墓群では並列する横穴墓のうち、9号墓と10号墓との間には十分な間隙があるにもかかわらず、横穴墓は構築されていない。これは横穴墓群中の支群の違いを明確にするも のであり、1~9号までのまとまりを示すものと思われる。 9基の横穴墓は1時期3基を基本とする3代にわたる変遷と確認できるが、横穴墓の造営主体は同時期に複数の横穴墓を構築しており、造営主体は細分化以前の大規模段階であったものと思われる。
           

            第47図 墓前域追葬面上の遺物出土状況


 

中和田8号墓

8号墓は、並列する横穴墓群のうち東側支群の西側に位置している。玄室奥壁幅210cm、前幅160cm、長さ210cmの前幅の狭まった、前壁を有する段階の矩形平面横穴墓であり、奥壁高は140cmを測る。羨道は奥幅120cm、前幅70cm、長さ250cmの規模であり、墓道床面と羨道入口とは、高さ40cmの段を造作している。墓道の土層堆積状況からは追葬の痕跡が確認でき、横穴墓の玄室床面には北西隅に片付けて集積された人骨と、東側壁沿いに伸展埋葬された人骨が確認された。埋葬人骨に伴って2本の直刀、14本の鉄鏃と6本の刀子が副葬されていた。横穴墓群内で最も多くの武器類を出土した横穴墓である。

           第49図 遺物出土状況


8号墓に並列する6号墓・7号墓の2基の横穴墓は、全体規模、主軸方位が類似するものであり、構築時期の近接することが想定できる。6号墓は長方形玄室平面を呈する前壁の明確な構造であり、玄室の奥に小形の室を造作しており内部からは直刀を伴う改葬骨が出土している。この6号墓が、2段階でやや先行して構築さ れ、継続して7・8号墓、さらには2号墓が構築されたものと考えられる。2段階の横穴墓の構築された時期は、出土武器類の様相から7世紀中葉と考えることができる。

           第48図 8号墓実測図

            第50図 人骨出土状況


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 中和田11号墓

11 号墓は、並列する横穴墓群のうち西側支群の東側に位置している。玄室奥壁幅230cm、前幅90cm、長さ300cmの前幅の狭まった台形玄室平面を呈する横穴墓であり、奥壁高180cmを最高として前側に従って低くなるアー チ形天井構造である。羨道は奥幅90cm、前幅50cm、長さ220cmの規模であり、墓道床面と羨道入口とは 40cm の段を造作している。 確認された横穴墓の閉塞は人頭大の河原石を 使用して行われており、中間に厚い土層を挟んだ状況から追葬がおこなわれたことが確認できた。横穴墓内部の石敷きの玄室床面上には、東西の両側壁に沿って2体の人骨が埋葬されていた。西壁沿いの遺存状況の良好な人骨は埋葬後 に片付けて集積されたものであり、東側壁沿いの一体は頭位を奥側にした伸展葬と確認された。遺体に副葬された武器としては、直刀1本と小鉄刀1本、16本の鉄鏃が出土しており、横穴墓群内では豊富な武器の出土と確認される。出土した直刀は、全長72cmの細身のものであり、魳切先で上部に2個の小円孔を穿った鍔を伴うものである。16本の鉄鏃はかなりの変容を示すものの、大形の平根腸抉り型式のもの であり、出土例が限られる。また墓前域の追葬面上からは、先端が開くピンセッ

           第51図 11号墓実測図

ト状の形態を呈する摂子と、2本の針が出土しており、ともに鉄製品であった。摂子は列島内の古墳から30例ほどの出土が確認されるものであるが、機能は明らか にはなっていない。直刀に共伴する事例が多く、懸垂用の道具とも考えられるものである。鉄製の針の出土も稀なものである。長さ7.8cmを測る資料の基部は平坦化され、円孔の痕跡も確認てできる。出土遺物から想定される横穴墓の構築時期は7世紀の中葉であり、後半代にかけて追葬され、造営されたものと想定できる。

           第52図 遺物出土状況

           第53図 摂子と針




 
 
 

                             第54図 人骨出土状況集成



 

           第55図 10号墓人骨出土状況

  

           第56図 11号墓人骨出土状況



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  出土遺物と人骨

【土器類】中和田横穴墓群から出土した副葬品は多くはない。土器類の出土は図示できるもので15個体を数えるのみである。このうち高さ27cmを測る1の円形胴部に細長い頸部を有する須恵器のフラスコ形瓶は、9号墓の墓前域から出土したものである。堅緻に焼成され、胴部最大径が胴部の高さを越え、頸部に二条線を有 さない形状を呈するものであり7世紀第3四半期頃の所産年代が想定されるものである。8は高さ23cmを測る台付き長頸瓶であり、2号墓の墓前域覆土中から出土した。肩部の丸い形状であり。7世紀末葉頃の年代が想定される。4は7号墓の墓道部から出土した須恵器の平瓶である。高さ16cmの単純口縁を有する頸部が、胴部の中央寄りに垂直に近く立ち上がる小形のものであり、7世紀の中葉の年代が想定される。5の大形平瓶も2号墓の墓前域から出土したものであり、7世紀の中葉の年代が想定できる。6の高さ23cmを測る台付き長頸瓶と7の頸部は、ともに3号墓の追葬面から出土したものである。液体の容器として使用された後に破砕された状況であった。肩部の突出する形状であり、8世紀の初頭頃の年代が想定される。
14の口径16cmを測る土師器の盤状杯は、3号墓の内部から出土したものであり、8世紀前半代に行われた追葬時の副葬品と考えられる。出土土器類は総じて7世紀中葉から8世紀代にかけての所産と想定できるものである。
【武器類】武器類が出土した横穴墓は限定される。6号墓の玄室奥の小形室から改葬人骨に伴って直刀1本、8号墓から直刀2本・鉄鏃14 本・刀子6本、11号墓から直刀1本・鉄鏃16 本・刀子1本が出土したのみである。これらのうち特に注目できる武器は、上部に2個の小円孔を穿った鍔を伴う直刀である。6・8・11号墓から1本づつ、合計3本出土している。6号墓出土例は全長69cmでふくら切先を呈する刀身の太いものである。8・11号墓から出土した資料は、ともに魳切先を呈する細身の刀身であり、6号墓出土例が年代的に古い様相を呈している。この種の特徴的な鍔を伴う直刀は東国で24 例が確認され、このうちの半数が房総半島中央部の古墳から出土している。類似した様相を示す鍔を伴う直刀も房総半島に集中する傾向が認められ、その中心に千葉市・東南部古墳群が位置している。中和田横穴墓群から出土した3本の特徴的な直刀は、分布を勘案すると房総半島部で7世紀前半代に製作された可能性の高いものであり、 地域間交流を示す実例と理解できる。
【出土人骨】中和田横穴墓群のうち、調査により被葬者の人骨が出土したのは、6・8・9・10・11号墓の5基である。個別横穴墓から出土した人骨は2体を基本としており、横穴墓造営集団内の限定された階層のみを埋葬対象としたものと考えることができる。横穴墓における埋葬は様々に行われている。1は個別の横穴墓内で埋葬を完結する類型、2は第1次葬として通常規模の横穴墓を使用し、改葬用に小形の横穴墓を隣接して構築する類型、3は通常規模の複数の横穴墓を第1次葬と 改葬用に区別して使用する類型である。列島内各地で時期に従って、これらの埋葬様式が確認される。中和田横穴墓群で確認できるところは、6号墓以外は個別横穴墓内における埋葬の完結であり、先葬者の人骨を玄室隅に片付けて集積し、追葬者を伸展葬するものである。横穴墓集団の個性を表すものである。
 
 

                   第57図 須恵器(左から3号墓・2号墓・11号墓・2号墓) ※縮尺不同



      

                   第57図 須恵器(左から3号墓・2号墓・11号墓・2号墓) ※縮尺不同



                            第59図 中和田横穴墓群出土直刀


 
 

         第60図 11号墓 直刀出土状況

 

           第62図 中和田横穴墓群出土鉄鏃と刀子


 

           第61図 11号墓 鉄鏃等出土状況


 
 


立正大学博物館,【立正大学博物館:第 11 回特別展】横穴墓, 2016,p.11-28
(online),http://www.ris.ac.jp/museum/profile/lvhgqo0000004877-att/yokoanabo.pdf#search=%27立正大学+中和田%27