懇ろに弔う 水子供養

水子供養

この世の光を目にすることなく、命を終え水子となった我が子。
短い時間ではあっても、水子も1つの命でした。
お腹に宿った命が様々な事情で水子となってしまっても、誰もがそのようなことは望んでだわけではないでしょう。
やむをえず水子となってしまった我が子に対して、その成仏を祈るために、せめてもの気持ちを届けたい・・・。
親として人間としてそのような感情は誰もが持つ自然なものでしょう。
何かしたい・・・お寺で手を合わせ、お焼香をし、お経を読む。
心を込めたご供養は必ず通じるものです。
当山では水子を懇ろに弔います。
尊い水子が成仏できるよう、共に心を込めてお祈りいたしましょう。

 
 
 ご供養料 1万円
 
 
 
 皆様の声 

「お経が始まると自然に涙が溢れてきました。」
「今まで全く縁のなかったお寺ですが、勇気を出してお願いして良かったです。」
「実家のお寺は田舎にあるので、近くに水子供養をしてくれるお寺があり、助かりました。またお参りしたいと思います。」
「以前、水子供養をお願いした者ですが、この度無事に赤ちゃんを授かることができました。ありがとうございました。」
 
 
 
 

「数え年」という年齢の数え方があります。
古来東アジア諸国では、現在の「満年齢」の数え方ではなく、「数え年」で、計算してきました。生まれた時点で1歳となり、お母さんのお腹にいる時は0歳としてその命の誕生を祝福しているのです。
 
「満年齢」では、生まれた瞬間から数え始めるので、出産時は0歳、1年が経過した時に1歳となります。お腹にいる赤ちゃんは0歳以前となり、満年齢では存在しないことになってしまいます。
ここでは、「満年齢」と「数え年」の是非を問うのではなく、日本人は古来このような命を慈しむ態度をもっていたということです。
こうしたかつてのしっとりとして深みのあり、潤いのある倫理観、ものの受け取り方の上に重点を置いた心持ちを今一度現代に見直してみたいものです。