大乗寺の歴史と住職紹介

大乗寺について

開山から現在までの概要

明治16年(1883年)2月16浅草猿屋町に『本化正統経王会』(大乗寺の前身)を開山。
昭和20年(1945年)東京大空襲により堂宇を焼失。
昭和24年(1949年)駒込に再建。
昭和27年(1952年)7月に宗教法人法改正により『経王山大乗寺』として改称。
昭和46年(1971年)駒込より現在の多摩の地、中和田横穴墓群のあった地に移転。

 
 

歴代住職

開山 自我偈院日也上人
二世 自中院日勇上人
三世 自浄院日澄法尼
四世 自得院日正上人
五世 本行院日壽上人(中興開山)
六世 大内義雄

 
開山自我偈院日也上人(静岡の浜松妙恩寺の第四十九世)は、帝都での布教を目指し上京し、開基檀越の兼子伝五衛門らの協力の下、明治16年に『経王会』を開山。
妙恩寺は、徳川家康が三方原の戦いの初戦「一言坂の戦い」で負けた後逃げ込んだ寺院としても有名である。
 
五世本行院日壽上人は、昭和9年以来その任を全うし、昭和20年の戦災で猿屋町の経王会が焼失したが、戦後駒込に再建。離散した檀信徒に布教を再開。当時檀信徒の墓地は巣鴨の染井霊園に存在し、日壽上人は寺院と墓地を共にと考慮し、昭和46年駒込より当地(多摩市和田)に移転。
 
平成3年より現住職が入寺し、平成21年、長く念願であった新本堂が完成し今に至る。
 

勧請様式 一尊四士
釈迦如来 転法輪印(説法印)
祖像 折伏像
本堂仕様  木造
 入母屋造
 流れ向拝付
 丸平一体型本瓦葺
 二軒繁垂木(1枝5.0寸)

 柱頭装置:出三ツ斗
 側柱      :1.2尺丸(欅)
       1.0尺丸(桧)

 内部柱 :1.3尺丸(欅)
       1.0尺丸(桧)

 向拝柱 :9.0寸角(欅)
 天井  :内陣  上小組格天井
     外陣・脇陣  格天井 
 
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住職挨拶

「1人でも多くの人の心が、
        穏やかになってほしい」
そんな想いによって活動しているお寺です

お釈迦さまの教えは、全て命あるものがその命のあり方において等しく尊重できる社会を目指すものであります。同時に自分自身の存在が他との関わりのうちに存在することを認識し、空間的時間的、これは過去未来そして現在の今に集約される自己を尊重し、心穏やかに生きることが釈尊の教えであります。このような考えのもとに地域の皆さまや檀信徒の皆様と共に、これからのお寺の在り方を模索し考えていきたいと思います。
 

住職 大内 義雄

 

副住職紹介

「仏さまの教えを
      少しでも身近に感じて欲しい」
それが私の僧侶としての原点です

仏教離れや寺離れが言われて久しくなりました。それは長い歴史の中で「お寺」という立場に甘んじてきた僧侶自身にも責任はありますし、少子化や核家族化といった社会情勢の変化も理由の一つでしょう。
しかし、世の中の全ての人が寺社仏閣や神仏への興味関心がなくなったわけではありません。昨今の御朱印ブームはその好例でしょう。
そこから一歩進んで、仏教そのものをもっと身近に感じて欲しい、そしてそこから少しでも何かを感じ取って欲しい、それが願いでもあり、私の僧侶としての基本姿勢です。
 

副住職 大内 慈久